ハコダテノヒト4月号~岩城浩司さんインタビュー~

jam函館、道南便りのページで連載中の『ハコダテノヒト』。
3/20発売の4月号では、有限会社 イリュージョン代表取締役・料理長の岩城浩司さんにインタビューしてきました。
今回も、紙面で紹介しきれなかったその内容をココでご紹介したいと思います。
ハコダテノヒト 第十三回…岩城 浩司さん(いわき こうじ)さん
(有限会社 イリュージョン 代表取締役・料理長)


(略歴)
函館出身、58歳。西高を卒業後、料理人の道へ。
京都ホテルを経てイギリス、フランスのレストラン、ミシュランの二ツ星、三ツ星レストランで腕を磨く。
帰国後はホテル日航東京で総料理長を務め、現在は白鳥町にてビストロイリュージョンを経営。


jam(以下・j)「今日はよろしくお願いします。さっそくですが、岩城さんは今お幾つなんですか?」


岩城(以下・岩)『58歳になります。』


j「見えないですね~。料理人歴は何年になるんですか?」


『高校を卒業してからなので、約40年以上になりますね。』


j「フランスやイギリスの方で料理の修業をされていたんですよね?」


『高校を出てからすぐ京都に行って、老舗の京都ホテルで働き、それからイギリス、ロンドン、フランスなどを渡り歩きました。海外は約12年で仕事していました。』


j「料理人の道に進んだきっかけは何ですか?」


『今はもう無くなってしまいましたが、父が青函連絡船の食堂で給仕長をしていたんです。小さい頃によく連れて行ってもらって、キッチンやレストランの中を見ていて…それが何となく頭に残っていたんでしょうね。』


j「なるほど。そのころから料理に関わる仕事に憧れていたんですね?」


『うーん。父は料理人ではなかったんだけれど、当時の函館では豚肉ばかりだったのが牛のサーロインステーキを食べたりしていて…。』


j「青函連絡船の船内食堂ってかなり高級な感じだったんですね。」


『ええ、そうですよ。そして、京都ホテルの募集案内が新聞に載っていて、高校を卒業して仕事を始めたらますます興味が湧いてきたんです。フランス料理とかは現地とどれだけ違うのかとか。』


j「本場の料理を食べたことがないので…日本でのしか分からないですね。」


『でしょう?僕も皿洗いを1年間やったり、スープ係になったりとセクションが変わっていって、色々と仕事をして実際に日本でやっているフランス料理が現地とどれだけ違うのかとか疑問が出てきたんです。その頃、同じ下宿にいた先輩がフランス語の学校に通っていて僕も通うようになったんです。』


j「仕事をしながらだとかなり大変でしたね。料理人は朝早く夜遅い仕事ですし…。」


『たしかに大変でいたけど、目標があったからでしょうね。そして一緒に通っていた先輩がヨーロッパに行って、直属の上司もヨーロッパに行っちゃったんですよ。そういうのもあって、自分も行きたいと夢が膨らみ、自分で100通ぐらい手紙を書いて直接向こうのレストランに送ったんです。』


j「自分でやらないとダメなんですね…。でも、まったく知らない道の世界に飛び込むというのは凄い勇気ですよね。」


『興味を持ってどうしても行きたいと思ったんで、あんまり心配に思わなかったです。語学を習いつつ、仕事で料理の基本やテクニックを勉強しながら、料理書を読んで、向こうのレストランに手紙を書いていました。返事が返ってきたのは3分の1くらいかな。』


j「100通も書いて3分の1ですか。」


『それもほとんどは良い返事ではなくてね。その頃はまだ労働許可証が無くても働けていたんですよね。』


j「それは何年くらい前のことですか?」


『24、5歳の頃だから…34年くらい前、仕事を始めて5、6年とかの頃だね。前にヨーロッパに行った上司の友達がイギリスのロンドンで仕事をしていて、その方から手紙が来て…やっと念願が叶って天にも昇る気持ちになりましたよ。でも、フランス語は3年勉強していたけれど、急遽イギリスになったから英語を勉強して…』


j「ロンドンの何というところに行ったんですか?」


『ハイド・パークという大きな公園の端っこののところにある、ロンドンヒルトンホテルに決まったんです。』


j「ロンドンは料理が不味いという話を聞いたことがあるのですが…。」


『大英帝国時代は栄えていたから料理も非常に美味しかったそうだけれど、それ以降はだんだんとね…。その名残がサボイホテルローストビーフなんですよ。』


j「そうなんですか…。でも、一流ホテルはその限りではないんでしょうね。」


『うーん、でも一般的にはそうなりますね。それでもヨーロッパで仕事したいというのがあって、まずはイギリスに。その後はコンノートホテルというミシュランの二ツ星レストランに行きました。当時は二ツ星が最高ランクで、イギリスに2店しかないうちのひとつがコンノートホテルだったんです。そこは、料理長が本当に素晴らしい人でした。』


j「その方が料理長になってからミシュランの星を取ったんですか?」


『そうなんです。もちろん、フランス人でオーダーもフランス語。会話はフランス語と英語の両方で、仕事しているのも半分はフランス人半分はイギリス人でした。やっとイギリスにいるんだけれどフランス人の立派なシェフの元で修行することが出来たんです。でも最初のヒルトンホテル時代は言葉で大変苦労しました。外国の地でたったひとり、言葉は通じないですし…お客さんの前で皿を投げられたり…。』


j「相当なストレスというか…言葉がうまく通じないのはもどかしいですね。」


『そうですね。向こうが言っていることがある程度分かっても、反論が出来ない…その葛藤がありましたね。半年くらい掛かってやっと少し耳慣れしてきて、その頃にコンノートホテルで働くことになりました。』



j「たしかに、言いたいことがあってもなかなか伝えられないのはかなりのジレンマですね。」



『でも、そのストレスやプレッシャーというのは、長くヨーロッパで修行している料理人はみんなそうですよ。特に働き始めの頃はそんな経験をしていますよ。』


j「やっぱり、そういった環境に耐えられず日本に帰ってしまう人も大勢いますよね?」


『多いのは、せっかくヨーロッパに来たんだからって結局、蕎麦屋や寿司屋といった日本料理店に行ったりする人とか…。』


j「それはもったいないですね。」


『僕はヒルトンの、コンノートでは下のポジションからスタートして…別の店に行くときに、シェフが証明書を書いてくれるんです。そうすると、そこできっちり修行をした人は次にはまた見合ったランクから始められるんです。テクニックや実力の世界ですね。コンノートではシェフ・ド・パルティという各セクションの長になりました。』


j「コンノートホテルには何年居たのですか?」


『2年弱ですね。そうこうしているうちに、やっぱりフランスに行きたい気持ちが大きくなっていって、前に出した手紙の返事が日本に届いていたらしく、「今は無理だが、半年か1年くらいしたらOKですよ」という内容の返事が来ていて…あの時は全然良い返事もらえなかったけれど、中にはそんなシェフもいたんですよ。』


j「なるほど~。」


『ロンドンで仕事をしていたらやっぱり星付きで仕事をしたくなって、その連絡をくれた人のところで働き始めたんです。サンテティエンの一つ星レストランでした。ただ、コンノートホテルにいたときよりずっと下っ端だったんです。それで、色々と勉強にはなったんだけれども、今度は二つ星のホテルドパリから連絡が来て、シェフパティシエというお菓子のシェフだったら雇ってくれるといわれたんです。ただ、お菓子は1回もやったことがなかったんですよ。それでも、二つ星だったのでどうしても行きたくて…。』


j「その時はパティシエは未経験だったんですね。」


『小さなホテルのレストランだったんですが、そこで1年程パティシエをしていました。』


j「お菓子の方をやったことなくても出来るもの何でしょうか?」


『そこは以前にも日本人が居たみたいで、日本人はどういう性格でどんな仕事をするか分かっていたからでしょうね。』


j「ちなみに、面接では何か作ったりするんですか?」


『いえ、普通に会話だけですよ。イギリスでやっと英語を覚えたと思ったら今度はフランス語で…日本で勉強はしていたけれども自分で紙に文章を書いて、「こう質問されたらこう返そう」とか練習しておきましたね。こんなチャンスは二度と無いと思いましたし、まぁ、目を見て片言でも話したらちゃんと分かってくれますよ。』


j「いや~でもかなり大変ですよね。お菓子の方も初めてだったというのは。」


『そこのスペシャルメニューがスフレだったんですが、かなり大きなプラムのスフレでそのオーダーが入って作ったんだけれども、スフレがふわっと膨れて「あぁ、よかった。うまくいった」と思ったら出したとたんにぺしゃんこに…(笑)』


j「(笑)」


『そこのシェフがフランスでも一番怖いシェフだったんですよ。15歳くらいの見習いシェフなんてゲンコツで殴られるから歯が1本無かったり…。その厳しいシェフが青筋たてて…(笑)』


j「こ、怖いですね…。」


『でも、人間って欲深いね(笑)。二つ星で仕事したら三つ星はどうなんだろうって思って…。それで、三つ星の方にどうしても行きたいと、そこのフランスで一番怖いシェフに話して三つ星のレストランに聞いてみてもらったんです。』


j「やっぱり、星の数で違うものなんですか?」


『明らかに違いますね。中でも二つでも一つに近い二つとか三つに近い二つとかもあるけれども、それでも自分には感動でしたよ。もう嫌って言うほどの苦い経験も繰り返して…一度日本に帰ってきてから京都ホテルに再入社しました。そこでは洋食のほうの責任者をしていたんですが、またヨーロッパで仕事をしたくなり…。ニッコードパリで料理長代行を務め、その後、副料理長をしていました。そこには6年いましたね。』


j「そうしてまた日本に帰ってきたんですよね。」


『はい、帰ってきてからはホテル日航東京の総料理長でした。ここにも6年いて、そして函館に来たんです。色々ありました…。日航東京では部下が126名で、宴会のキャパが1日1,000名でしたし。』


j「しかし、料理長だと仕事の内容は料理をするというより、全体を見るリーダーな感じですよね。シェフとしては実際に料理を作る方とどちらが良いですか?」


『やっぱり料理人として作る方が良いですね。この店ももうすぐ10年経ちます。色んなお客さんが来てくれたら嬉しいですね。』


j「そういえば、150年前のレシピを復活されるという話を聞いたのですが…。」


『昨年、洞爺湖で行われたサミットがありますよね。それに伴って、26年前のベルサイユサミットでのメニューを再現しようとなったんです。料理の総指揮を務めたのが友人で、彼が資料を全て送ってきてくれたので再現しようということになりました。たまたま今年が開港150周年ですし、何かやりたいとずっと考えていて…150年前はちょうどナポレオン3世の時代で今回はそれを再現しようとなりました。早ければ5月、もしくは6月から開催したいと思っています。』


j「当時の傾向といったものってあるんでしょうか?今と全く環境も違いますし…。」


『150年前というと今のフランス料理の基礎、ベーシックな部分なんです。移動にも時間が掛かるから、たとえば魚なんかは鮮度が落ちてしまう。なので、ワインやクリームをたくさん使ったり、こってりしたものや煮込み料理が主流だったんです。けれど、料理っていうのは組み合わせなんですよ。だから、こってりしたものばかりじゃなく、当時の組み合わせがちゃんとしているものをピックアップして創り出そうと思っています。こうご期待です。』


j「今のところ早くて5月、6月の予定ですよね。」


『ええ、そうです。それと歓送迎会用のパーティープランをリーズナブルな価格で提供したり、ワインも通常価格の30%~50%挽きで提供させて頂こうと。気楽にフランス料理を楽しんで頂こうと思っています。料理も函館近郊の鮮度の良い有機野菜や食材どんどん使って体に良い料理を提供し続けたいです。』


j「地場地産ですね。」


『そうです。プラス、ヨーロッパからのフォアグラやフレッシュのホワイトアスパラなんかも…。地元のものとフランスの食材とのコラボレーションですね。』


j「それは楽しみですね。これからの時期は特に。」


『今は関東・関西からのお客様が増えているんですよ。このまえ来た方も、東京から朝の便で来て、着いて直ぐにここで食事をしていって夕方の便で帰って行きましたよ。』


j「あら~いい1日ですね(笑)」


『もちろん、地元のお客さんも大事です。けれど、こうしてたくさんの人にイリュージョンの味を伝えていきたいと思っています。そして、常に新しいことにチャレンジしていきたいと思っています。あと、若い世代を育成していくのも大事ですね。アドバイスをしたり、海外で修行したいのなら向こうのお店を紹介したり、これからの若い人たちに少しでも役に立てればとも思います。』


j「ぜひ、これからもイリュージョンの味を多くの人に広めていって欲しいですね。これからも今日はお忙しい中ありがとうございました!」


『いえいえ、こちらこそありがとうございました。』


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※このエントリーは「函館情報市場『ハコイチ!』」が行っています。

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